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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 続・韓国巡礼 part3


本日は全州(チョンジュ)へ。日程に余裕がないとなかなか行けない所なので貴重だなと。前回韓国に来たとき、全州にある殉教地のことを読んで泣き、次はここへ行こうと思っていたんですよね。効率よく行くべき場所に行けますように!



全州まで高速バスで


大田から全州までは高速バスで。長距離バスって、慣れない者には結構難関。夫が韓国語をそれなりにできるので無事チケットを買えましたが、自分だけだったら無理だったろうなぁ。

全部ハングルで書かれたチケットを見るだけでも、韓国の深い所に入って行くような気がして、ワクワク。大げさからもしれないけど (ノ´∀`*)


川沿いをてくてく


全州に着いて、バスターミナル前のツーリストインフォメーションで殉教地の場所を尋ねると、曖昧な答が返ってきました。。

よく知らないみたいですね、観光関係の人は。まさか日本人がそんなこと訊いてくるなんてという感じでした。

地図で場所を示すと歩いて行けると言われたので、徒歩で向かうことに。川沿いの道をひたすら歩みます。距離は相当あるけれど、野の花や若葉がやさしく揺れて、思いがけずよい散歩になりました♪


スッチョンイ橋


スッチョンイ路

スッチョンイ聖堂


15分ほど歩いて、まずはスッチョンイにあるカトリック教会へ。スッチョンイ殉教地への行き方などを訊けるかと思い。

スッチョンイ殉教地とスッチョンイ聖地とは別にあるのですが、どちらかを見逃してしまうことがないよう、教会事務室に行って道順を教えてもらいました。

事務室にいた神父さんは、日本人がここまで訪ねて来たことに驚きながらも、丁寧に教えてくれました。道は分かりやすそうです。全州は計画的に整備された街なのか、直線が多くて初心者でも迷いにくくて良いです。



スッチョンイ聖堂

聖堂

チンブク高校

高校の歴史

スッチョンイ殉教地


聖堂から数分で到着。団地と保育園の脇にあるこちらがスッチョンイ殉教地。小さなスペースですが、ちゃんと殉教地に碑や解説陽を建てて、お祈り用のベンチまで置かれているところが、さすが韓国。

日本では解説板一つ建てられていないことが大半で、「そんなもん建てたら土地が売れないじゃないか」と、歴史的なことより経済が優先されることが通常です。

本格的に巡礼ができる聖地は150mほど離れた場所に作られているのですが、まずはこちらに寄ってみたかったですね。実際に信徒が処刑された刑場の跡ですから。解説碑には詳しく、いつ誰が殉教したのか書かれています。

韓国版wikiの該当部分を抜き出してみるとこんな感じです↓

1801년 「신유박해」 때, 전라도의 첫 천주교 사도 유항검(아우구스티노)의 아내와 제수, 맏며느리 이순이(루갈다) 등이 이곳에서 순교했다. 1839년 「기해박해」 때는, 신태보(베드로), 이태권(베드로), 이일언(욥), 정태봉(바오로) 등이 순교했다. 1866년 「병인박해」 때는 경문호(바르톨로메오), 손선지(베드로), 한재권(요셉), 조화서(베드로), 이명서(베드로) 등이 순교했다. 1867년에는 김사집(필립보) 등 여러 사람이 순교했다.

(訳してみました⇒1801年辛酉迫害の時、全羅道初のカトリック使徒ユ・ハンゴム(アウグスティノ)の妻と弟の妻、長男の妻イ・スニ(ルカルダ)などがここで殉教した。 1839年己亥迫害の時は、シン・テボ(ペドロ)、イ・テグォン(ペドロ)、イ・イロン(ヨブ)、チョン・テボン(パオロ)などが殉教した。 1866年丙寅迫害の時はキョン・ムノ(バルトロメオ)、ソン・ソンジ(ペドロ)、ハン・ジェゴン(ヨセフ)、チョ・ファソ(ペドロ)、イ・ミョンソ(ペドロ)などが殉教した。 1867年にはキム・サジプ(ピリポ)など多くの人が殉教した)



団地の辺り一帯が昔は城で、その城門外に処刑場があったみたいですね。この殉教地が地方記念物第71号に指定されているとも書かれています。



団地の一角

マリア像

殉教碑

解説碑

スッチョンイ聖地


殉教地から少し進んでスッチョンイ聖地へ。

ゆっくり過ごせる公園のようになっていて、季節の花も咲いています。

先客には中年男性がいて、聖母子像の前で一人でお祈りしてました。日本ではまず見られない光景です。

真ん中の塔の周りに時代ごとに殉教した人々の名が碑に記されていて、それを見たら、先ほどのスッチョンイ殉教地だけでなく、全州で殉教した人たち皆をここでは顕彰しているようでした。なるほどと思うと共に、それら他の殉教地にも行きたいと願うようになりました。

監獄と…、殿洞聖堂と書かれているのは豊南門の外だからでしょうね。珍山の2人の殉教者、尹持忠(ユン・ジチュン)と権尚然(クォン・サンヨン)の殉教地です。昨日からのつながりで、ここには是非行きたいですね。行かせてください、神さま☆彡



スッチョンイ聖地

十字架の前で祈る人

殉教地

十字架の道

真ん中の塔

尹持忠と権尚然

辛酉(シンユ)迫害

チョンヘ迫害

己亥(キヘ)迫害

丙寅(ピョンイン)迫害

門前の碑

解説碑


 川沿いの殉教地へ


ひたすら真っ直ぐ


聖地から全州の中心地たる豊南門までは、またもや真っ直ぐ道です。街路樹の柳がちょうどいい木陰を作ってくれているのはうれしい限り。

路傍の花に癒されて、思わず口をついで出る賛美歌。次の目的地まで20分ほど歩きますが苦になりませんね (o^^o)


路傍の花

西川橋

全州ワンソン教会

全州ワンソン教会

西川橋殉教地


全州ワンソン教会の近く、川沿いにモザイク壁画が建てられている所が西川橋(ソチョンキョ)殉教地。

1866年、聖チョ・ユノが18歳で処刑された場所です。チョ・ユノはスッチョンイで斬首されたチョ・ファソの息子で、10日違いで処刑されました。

父子が互いに信仰を棄てぬよう書き送ったやり取りが残されています。


西川橋建設碑

歩道側のモザイク

車道側のモザイク

解説碑

サイクリングロード


全州の市街を流れる川沿いは、サイクリングロードとなっていて、平坦な道がずっと続いています。自転車に乗って風を切って走ったら、とても気持ちよさそうな。

この川沿いに殉教の歴史があったことを、地元の人なら知っているんでしょうね。風化しないよう、また景観も損ねないよう、きれいなモザイク壁画を建てたのはいい考えだと思います。


チョロクバウィ殉教地


川沿いをもう少し歩くとチョロクバウィ殉教地。チョロクバウィとは「緑岩」という意味だから、そういう岩があったんでしょうね。

前回韓国に来て帰るとき、次は必ず来ようと思った所とはここのこと。祈りを叶えてくださった主に感謝です!

チョロクバウィは殉教者の息子2人が水葬された場所。川に流して水死させたんですね。殉教したときわずか14歳でした。祈らないではいられません。


解説碑

歩道側のモザイク

地域の案内解説

全州ソンド教会

コンナムルクッパ


全州は韓国の台所と言われるほど食文化の発達した街。特にコンナムルクッパとチョンジュビビンバが有名です。地元民で賑わう食堂を選んで入り、有名どころ2品を注文。

日本の付き出しみたいに出てくるパンチャン(小さなおかず)も豊かで…どれも辛そう!巡礼は疲れるので、気合が入って良かったです。


地元民で賑わう食堂

パンチャン

チョンジュビビンバ


 豊南門と殿洞聖堂


豊南門


では豊南門へ。全州市の真ん中にあって、街のシンボルとなっている歴史的建造物です。

ここの門の外で珍山事件の尹持忠と権尚然は斬首され、その首が門から吊り下げられて晒されました。いわゆる「軍門梟首」というものですね。

その後もこんな事があったと韓国のカトリック公式サイト「Paxkorea」に書かれています↓

신유박해 때인 1801년 9월 17일에는 전라도에 처음 복음을 전파한 유항검과 그의 아우 관검(柳觀儉, 1768~1801, 세례명은 미상), 윤지헌(尹持憲, 1764~1801, 프란치스코)이 능지 처참형을 당하였고, 김유산(金有山, 1760~1801, 토마스)과 이우집(李宇集, 1762~1801, 세례명 미상)은 참수형을 당하였다. 특히 정부는 유항검의 목을 풍남문 누각에 매달아 백성들에게 경각심을 갖도록 하였으니, 풍남문은 이들의 피가 서린 곳이다.  

(訳してみると⇒辛酉迫害時の1801年9月17日には全羅道に初めて福音を伝えたユ・ハンゴムと彼の弟ユ・グァンゴム(柳観倹、1768~1801、洗礼名は未詳)、ユン・ジホン(尹持憲、1764~1801、フランチスコ)が凌遅処斬(ヌンジチョチャム。生きたまま肢体を斬られて殺される刑)にあい、キム・ユサン(金有山、1760~1801、トマス)とイ・ウジプ(李宇集、1762~1801、洗礼名未詳)は断罪にあった。 特に政府はユ・ハンゴムの首を豊南門楼閣にぶら下げて民に警戒心を持たせるようにしたので、豊南門はこれらの血が立ちこめた所だ)



殉教者たちは豊南門の外で処刑されたということなので、豊南門の前とその周りを囲むロータリーや道路が殉教地ということになるでしょう。



豊南門

豊南門

豊南門

すごい人出


豊南門と道路を隔てた所にあるのが殿洞聖堂。カトリック全州教区の司教座が置かれた大聖堂(カテドラル)です。

そこへ向かおうとすると、ものすごい人波に阻まれました。今日は何の日か知らないんですけど、祝祭日のようで、大人から子供まで、カップルや家族連れが大勢います。


殿洞聖堂


殿洞聖堂に到着。人人人でびっくり!!

こんなに教会に人が来てるなんて!と感動しかけましたが、よく見ると皆セルフィー片手に自撮りに夢中。

鮮やかなハンボク(韓服。韓国の民族衣装)着て来ているのも、自分を美しく見せるためみたいです。大聖堂はその背景ですね。嘆かわしや。韓国の人って信仰深い人も多いけど、自分好きな人も多いように思います。とりわけ自分をキレイに撮ることに関心が強いというか。美容大国なのも頷けます。。


殿洞聖堂は殉教地?


さて肝心の殿洞聖堂ですが、この地域のカトリック信仰の中心なだけあって、史跡としての見どころも十分。1914年に建てられた聖堂は史跡第288号に指定されています。キリスト像、敷地内にピエタなど数多くの像が建てられていて、その中に「殉教跡」と刻まれた石碑、フランス人神父Baudounetの胸像、尹持忠・権尚然像があります。

その中でいささか疑問に思ったのが「殉教跡」碑。解説板にもここが殉教地であると明言されていますが、処刑地は「南門の外」なので、正しくは豊南門前の公園とその周囲のロータリーや道路までのはず。聖堂の敷地まで入れるのは拡大解釈です。「殉教地の隣」と書けば良いものを、「殉教地跡に聖堂が建てられた」と言いたいがばかりに、事実を曲げてしまっているように見受けられます。

私が見たカトリックの本にも「元々はここが殉教地だとも知らなくて、オモッテ(少し離れた所)に聖堂を建てようとしていたが、不思議にもこちらに聖堂が建てられるようになり、分かってみたら殉教地だった。すごい!」みたいなことが書かれていて、逆に冷めますね。我田引水ぽくて。

「殉教地のすぐ隣」「至近距離だ」と、正確な表現をしても、それで十分すごいのに、わざわざ殉教地の範囲を曲解する必要があるでしょうか。大体豊南門の周囲は道路などになっていて公有地なので、これ以上近くに寄ることもできません。

最大限近い所に聖堂が建てられたんだから、これをもって「ハレルヤ!」とすればいいのに…。変なところで見栄を張っているみたいで解説読んでいて辛いですね。



殿洞聖堂

聖堂内

キリスト像

「殉教跡」碑

Baudounet神父

Baudounet神父像

解説板

尹持忠・権尚然像

殿洞聖堂

ピエタ

ファチマの聖母

建物

今日は祭りか!?


殿洞聖堂を出ると、前の道はもう全州韓屋(ハノン)マウル。韓国の伝統家屋を満喫できる観光用のストリートで、やはりここも人人人。

何の祭!?って感じですが、日本の観光地だってGWはめちゃ混みなんだから、こういうものだと受け入れるべきですね (;^_^A


人人人

慶基殿解説板

慶基殿

案内図

韓紙館


伝統工芸の韓紙作りを体験できるところもありました。韓紙とは日本の和紙の韓国版。和紙と同様に水に溶けにくく丈夫なのが特長です。

だけれど韓国ではクリスチャンを処刑する際にも、水に濡らした韓紙を顔に載せて窒息させるという、白紙死という方法があったので、それを考えるとちょっと…。


全州韓屋マウル

全州韓屋マウル

下馬碑

韓屋マウル展示館


 致命者山聖地へ!


致命者山聖地入口


全州韓屋マウルの端まで歩いたのですが、そこから更に20分くらい歩かねばならないと知り、タクシーで致命者山聖地入口へ。

着いて少し歩いたら、靴の裏がベローンと剥がれて、靴下がむき出しに。結構なアクシデントですが、致命者山は登りたい!

ということで、髪用のゴムで靴裏を固定して(全然固定できてないけど)、剥がれないように調節しながら登ります。あ、ちょっと前途多難な感じ出てきた。。(つд⊂)マジカー


殉教者墓の解説板

ご協力感謝みたいな


キリスト像

左右2本の道


入り口を通ると左右に二手に分かれた道が。一つは真っ直ぐ殉教者墓に行くルートで、もう一つは全州教区の聖職者墓地を経由して行くものだと、登って行ってみてから知りました。

緑豊かな山道の所々にキリスト像や聖母子像が置かれていて、ヨーロッパのようですね。ここが韓国だということを忘れそうなくらい☆


全州教区の案内板

道案内



全州教区の聖職者墓地


全州教区の聖職者墓地は日当たりの良い丘陵に設けられていて、堂々たる雰囲気。ここに埋葬されることは、栄光なんだろうなと感じました。

一生を神に捧げて生きることは、これにも勝る栄光を天で受けているんでしょうけれど。

あ、Baudounet神父のお墓も!ここに眠っているんですね。Baudounetって何と読むのかと思ってましたが、韓国語読みで「ブドゥネ」となっています。殉教者ではないけれど、すごく貢献した人だと思います。


聖職者墓地

Baudounet神父ら

聖職者墓地

キリスト像

致命者山聖地聖堂


軽登山と言ってもいいような道を登って、聖堂へ到着。巡礼に訪れている人にも会いましたが、足の不自由な人もいて、大丈夫かなーと思ってたんですけど、ここまで到着してらっしゃいました。信仰の力強し。

登って来た甲斐があって、韓屋マウルの喧騒とは隔絶していて良いですね。街の近くにありながら、この静謐さは貴重かと♪


聖堂内


聖堂内は意外にも穏やかで温かみのある雰囲気。

殉教者を思ってもっと厳粛な感じにしてあるかと思いきや。

「アットホーム」という言葉が浮かぶくらい、柔らかで親しみある壁画が巡礼者を迎えてくれます。

童貞夫婦(異性的な交わりを持たず、神に捧げる人生を歩んだ夫婦)ユ・ジョンチョル(柳重哲)とイ・スニ(李順伊)も殉教者で列福されているのですが、この2人を表現した彫刻や絵がありました。童貞夫婦の殉教者というのは世界でも類を見ないのだと、ミカエル夫妻が言っていました。



聖堂内

ステンドグラス

童貞夫婦像

童貞夫婦の絵

殉教者墓所


聖堂から少し登った所に殉教者墓所が。列福された5人とその家族2人、合わせて7人の殉教者の遺体が埋葬されているということです。

他の場所に仮埋葬されていたのを、ブドゥネ神父がこちらに持って来てちゃんと埋葬したのだとか。

鳥のさえずりの聞こえる素晴らしい場所です (o^^o)


殉教者墓

解説碑

解説板

岩と十字架

タクシーに乗って


靴があり得ないほどボロンボロンなので、タクシーを拾って中心部に戻ります。

「全州の監獄跡に行きたいです!」と、運転手さんに地図と写真を見せると、最初首をひねっていましたが、途中で「あそこか!」と思い出してくれて連れて行ってくれました。運転手さんに霊感を与えてくれた主に感謝☆


韓国伝統文化センター


下り立ったのは、韓国伝統文化センターの前。連休中のイベントで、韓屋マウルほどではないけど人は大勢来ています。

特に韓紙を使ったワークショップが人気のようで、参加者への放送が流れています。

韓紙…。それが処刑の道具となったとは、ここでは言わない方が良さそうですね。


韓国伝統文化センター

案内図

韓国伝統文化センター

韓国伝統文化センター

全州監獄跡


センター内を歩きながら、ここが全州監獄跡だったことを示すものはないかと探しました。

するとありましたよ!「全州獄 殉教地」とはっきり書いた解説板が。

獄で殉教した福者の名前までちゃんと書かれています。偉いなー、韓国!こういう負の歴史を記しておくことはある意味勇気が要ることだから、していない所が多いです。例えば日本なら解説板は建てないでしょうね。誰かが反対したり、あれこれ各方面に配慮したりで。

クリスチャンが多く、韓国では信仰基づいて考えるから、こういうことができるんでしょうね。尊敬に値すると思います。



監獄跡

「全州獄 殉教地」

監獄跡

ベンチ

高速バスでソウルへ


全州の高速バスターミナルに戻って、一路ソウルへ。まだ明るいけれど、着いたら8時くらいかな。

ソウルの地下街で靴屋に行って、破損しまくった靴を店員のおばちゃんに驚かれましたが、無事新しい靴をゲット。明日からの心配を払拭できました。

ひどい足元で歩いたせいか、ああ、すごく疲れてます、神さま。。




         行きたい所が多いのは祝福か?


行きたい所が多いのは祝福か、否か? 今日みたいにどん底まで体力を使い果たして寝床に倒れ込む日は、正直大変なことに陥っているなと思います。明日も行くべき所があると思うと、より一層。

しかし寝て起きて、ご飯でも食べれば行きたい所が思い浮かぶのだから、不思議なものです(ゲンキンなもの?)。そして行けばいつも得るものがあり、来て良かったと思うのですから。やはり祝福と言うべきですね。

そもそも祝福とは神さまが自分に良いものをくださること。それが仕事や、やらなければならない使命で大変だったとしても、本人が満足して幸せな人生を送るために、天が良かれと思ってくださったものだと捉えるのがふさわしいです。

行きたい所がまだまだあるのは、それだけ神さまが私にくださろうとする祝福が多いということですね。祝福を祝福としてちゃんと受け止めてこそ、どこかに行っても意味があるんでしょうね。ならば今日も感謝で (つ∀-)オヤスミー





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